オーデマ ピゲ財団は1992年から世界の森林保護運動を通じ、環境保護と若者への広報活動を行っています。
Tオーデマ ピゲ財団は1992年に財団を設立したジャック゠ルイ・オーデマの娘ジャスミン・オーデマが代表を務めています。
財団はコミュニティが健康な生活を保ち環境に配慮する文化を育むよう支援することを目的とし、非営利・非政府団体が実施するプロジェクトを国際レベルで支援しています。
私たちのアプローチは、プロジェクトを通じて持続可能な開発の好ましいサイクルを促進することです。関係する人々の協力を得つつ、若者たちの意識向上に努め、昔ながらのノウハウを尊重し、持続する未来を築く力を身につけることを目指します。
財団は現在新たな融資の要望を受け付けておりません。支援をする資格のある機関には、2024年始めから要望提出をするようご案内します。融資のご要望をお送りいただいてもお取り扱いできません。
農村社会の住民たちの意欲を高めることが、生物多様性の破壊を食い止めるための最良の盾になる ―― スイスのNGO「ProAct Network」のこのような確信が、島の南東部ラノベでオーデマ ピゲ財団が資金援助しているプロジェクトの実現へと導いたのです。
最重要と判断された10か所が、伝統的な品種の再植林プログラムの恩恵を受けました。これらの再開発された土地での収穫、エコツーリズム・プログラム、そして収穫のための雇用の創出により、このプログラムに関係している住民たちの収入を増やすことができました。
採掘と焼地により荒れた土地でわずかな一季栽培しかできない広大なサバンナ地帯のセラド で、オーデマ ピゲ財団は住民の家庭菜園づくりを支援し、若者の農業経営のための学習と研修を実施しています。
この活動は土地の多様生物性を保護し、家族たちが土地を開拓して貧困から抜け出すことができるよう支援するプログラムEntraide Protestante Suisse (EPER)の一環でもあります。
水源を枯渇させる浸食作用にストップをかけ、家庭に生鮮食品を供給するために、1万2000本の木を植え、省エネ型の薪の窯200台を建設し、教育的な工房で500人の若者たちにトレーニングを行う ―― オーデマ ピゲ財団は、「シルク・デュ・ソレイユ」の創設者ギィ・ラリベルテのNGO「ワン・ドロップ」のエルサルバドルにおけるグローバルなプログラムに、このような形で貢献しています。
NGO「Humana People to People」が始めたプロジェクトは、まずハリヤナ州とマディヤ・プラデシュ州の10都市に種苗場を創設することからスタートしました。
子どもたちによる植え付けに伴い、このプロジェクトの一環として特別にトレーニングを受けた教師によるテーマ別のプログラムが実施され、1万人以上の子供たちが参加しました。
教師と生徒たちが進行したイベントの際には、大人たちも参加しました。
ボルネオ島の原住民たちの同盟「FORMADAT」に参加するダヤク族は、古来の農法を復活させ、自分たちの産物をよい値段で売ることを可能にする有機認証を取得し、自分たちの領土の生物多様性を守るために、支援を必要としています。
インドネシアとマネーシアの政府が始めた「ハート・オブ・ボルネオ」プロジェクトは、世界自然保護基金(WWF)の活動の一環となるもので、オーデマ ピゲ財団はこのプロジェクトを支援しています。
財団は、スイスの「Aquaverde」財団を介して、スルイ族が管理する5か所の種苗場で、10万本以上の苗木の生産を資金援助しました。
1968年に初めて外部の人間と接触して以来、絶滅の危機に瀕しているスルイ族の数は、現在1300人強です。彼らは古来の伝統と近代的な管理を融合させた生活様式の柱となる、森林遺産の再構築を強い決意を胸に継続しています。
「バランタクンダ卸売業者及び漁業協同組合」の要請に応じて財団は、魚類生態系を再生することを目的に、カザマンス川のマングローブ移植費用を負担することにしました。主にアフリカを拠点に約30年間にわたって活動を続けてきた「ヌーベル・プラネット(Nouvelle Planète)」協会が運営を担ったこのプロジェクトは、地方の過疎化を食い止めるために漁業関係者の副収入を生み出すまでに発展し成功を収めました。
砂漠化が進む地域においてプロジェクトの中核となるのは、木々によって再生した土壌に植物を植えたパッチを、隔離した状態で砂漠上に点在させることです。2,000本の木が500人の孤児の手に委ねられました。40人のプロジェクトマネージャーによるトレーニングを受講した、200人近いボランティアが、孤児達をサポートし、木の手入れはもちろんのことエイズ、健康、食管理に関するアドバイスを盛り込んだワークショップを開催しました。
財団初のプロジェクトはモナコの岩だらけの尾根、テット・ドゥ・シアンを復活させること。1986年から1989年の大火災によって損害を受けた断崖絶壁に、20センチあまりの6,000本のアレッポ松を手作業で植栽するという、フランス人森林官達の大いなる挑戦が始まりました。
もとの植物多様性を取り戻すために、深さ約50センチ程度の水たまりを岩場に設け、低木を植えた土壌パッチが隔離した形態で岩壁に埋め込まれました。
ヒマラヤ山脈の麓にあるナイニタルは、過疎化が進んでいる地域です。NGO法人「ヒューマナ・ピーポー・トゥー・ピーポー(Humana People to People)」は、土壌を安定させ、源泉を復活させるために、25,000本を超える木や灌木を植栽しました。水源管理と伝統的農法に関するワークショップも開催され、プロジェクトは終了しました。
都会で珍重されるハーブのローズマリーが農地の端に植栽され、農家に副収入をもたらしました。
燃え尽きた枯れ木を除去したタパダの管理事務所は、自然な森林再生が望めない場所すべてに、コルクガシを中心に植林しました。火災後に再びよみがえったタパダに植えられた植物は、それぞれが保護対象になっています。「オーデマ ピゲ エデュケーショナル トレール」では、この自然環境再生化プロジェクトに財団が参加していることを紹介しています。
1999年の暴風雨によって大トリアノン宮殿の庭園は、いくつかの建物を除いて荒地同然になってしまいました。
歴史的建造物を研究している建築家による10年もの月日をかけた調査が終了し、1704年当時の庭園をよみがえらせるプロジェクト開始間際でした。オーデマ ピゲ財団はプロジェクトのパートナーであるレ・ザミ・ドゥ・ヴェルサイユ・ソサイアティ(Les Amis de Versailles society)と協力して資金を援助し、三角小間を1704年当時にゲストに披露していた姿に戻すことができました。
ウイチョル族の巡礼ルートは、この希少民族の文化を保護するために欠かすことのできない、まさに「旅するユニバーシティ」。都市化と集約農業に脅かされたユニークなビオトープを巡る、サカテカス東部に続くこのルートは、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路と同じく、ユネスコの世界自然遺産に登録されています。
財団が支援した自然保護連合発案によるこのプロジェクトは、地元民を巻き込み、旅行産業と持続可能な発展のバランスを保つことに成功しました。森林管理者とガイドのためのトレーニングコースが実施され、キクユ族居住区内にある丘に抜ける正式なルートを示す標識が立てられました。
オボンヌ渓谷の森林公園内にあるミュゼ・デュ・ボワ(Musée du Bois:ウッド・ミュージアム)では、歴史的オブジェやツールなどのユニークなコレクションを展示しています。ミュージアムから財団に、古い農園内に造設された新しいエリアのディスプレイ・ケース製作への資金援助の要請がありました。この新しいディスプレイ・ケースは、16・17世紀当時ジュウ渓谷で重要な役割を担っていた桶屋のコレクションを展示するために使用されています。
「香港ソサイアティ・フォー・ザ・プロテクション・オブ・ザ・チルドレン(Hong Kong Society for the Protection of the Children)」は、25の専門施設を運営し、12歳以下の子供達、計2,500人以上のケアを実施してきました。
1998年12月に開かれた晩餐会では、森林保護学習プログラムへの資金援助が集まりました。1999年春、子供達は協会の敷地に「自分の木」植樹会に参加しました。超都市化した環境で暮らす子供達にとって希少な緑地スペースは、木々あふれる公園の成長を観察できるリラグゼーション・スペースです。
ジュネーブの「エイド・オー・ザンファン(Aide aux Enfants)」協会は、コロンビアのストリート・チルドレンのためのシェルターを7か所経営しています。毎年シェルターの支援スポンサーを募っています。
オーデマ ピゲはスポンサーの交換条件として、コロンビア初の試みではありますが、協会が運営する7か所のシェルターでの環境問題喚起プログラムが企画されました。
オーデマ ピゲ マニュファクチュール創立130周年を記念して、オーデマ ピゲ財団は、ジュウ渓谷の見どころのひとつであるリソウド・フォレストでの「ディスカバリー・トレイル」に資金援助を行いました。森の避難小屋を出発点に、10か所に設けられた情報パネルでは偉大なるリソウドの森の植物、動物、地形が紹介されています。
ブロンクスにある敷地面積16ヘクタールの広大なニューヨーク植物園は、都市建設のために伐採された原生林がそのまま残された希少な場所。オーデマ ピゲ財団は、市街中心部に現存するエコシステムの修復プロジェクトを応援しています。
森林保全活動に加え、植物園のビジターが生態系への理解を深め、自然バランスにおける森林の重要性を学べるように、解説マニュアルも刊行されました。
パング・シダ・パーク周辺の村落の住人は、1982年の公園造設による後背地の減少に不満を感じていました。
タイのWWF本部は、60人におよぶ管理者、村長、教師達に対して、環境保護の重要性を訴えるプロジェクトを意欲的に推進してきました。
プロジェクト委員会の長期的計画を定めることで、村の住人と公園の豊かな自然環境、双方が利益を得ることができます。
アジョワ(ジュラ地方の州)に生息する背の高い果樹は、1999年12月の暴風雨によってほぼ全滅の危機を迎えました。そのうち何種類かの原産種は、緊急措置をしなければ絶滅するおそれさえあったのです。財団が遺伝子データベースで調査したところ、果樹園の80本の木に途方もない価値があることが判明し、ジュラ地方の果樹園独自の生物多様性を維持するために欠かすことのできない、希少な種の絶滅を防ぐ取り組みが始まりました。
「アンヴィ・ドゥ・トー(Envie de Thau)」プログラムに参加した子供達はまず、礁湖やセットにほど近いトー湖を取り巻く環境を保護する方法について科学的見地も含めて学びました。
オーデマ ピゲの財政支援によって、北京のWWF本部では1,000人の教師と地方の100,000人の生徒の受け入れを目標に、300人の若者がトレーニングを受けてきました。
10周年を迎えたオーデマ ピゲ財団は、第一回「放任竹林対策国際シンポジウムに資金援助を行いました。このシンポジウムは熱帯森林の専門家のための会議で、子供達に森林への関心を高めてもらうための広報誌や学習マニュアル作成も刊行しています。
子供達のグループが敷地内に木を植樹し、環境配慮ワークショップが試験的に開催された後、興味を持った人たちも参加しました。
敷地面積320ヘクタールを誇るクアラ・セランゴール公園。この公園内で保護されているマングローブは、長い旅を経た渡り鳥たちが疲れを癒す最適な安息地です。
経営陣の要望に応え、オーデマ ピゲ財団は公園に訪れるビジターにこの事実を知らせる標識を公園中に設置しました。
熱帯の森林に生息しているオトギリソウのさやから採取された油は、食品や化粧品業界で珍重され、地元では使用されていない油です。一部ではパーム油の代替品として使用されているオトギリソウ油は、農業地域の資源の多様化を示す例にとり上げられています。
ジュウ渓谷では高電圧の電線を目にすることはありません。財団がまず行ったことは、ジュウ湖周辺に高電圧電線地中化の資金を援助したことです。次に国の重要資産でもあるオルブ渓谷の湿地帯を横断していた中圧電線を地中に埋める資金を援助することでした。
オーデマ ピゲ125周年記念のスポンサー
マニュファクチュール生誕125周年記念として、従業員によるアイディア・コンテストが開催されました。オーデマ ピゲから恵まれない子供達のために運営されている10施設に寄付されま
した。
寄付先には、カン・タオ(ベトナム)の浮浪児のための栄養センター、重複障害に苦しむ子供達のための保育所・センターなどジュウ渓谷内にある2施設、フランスNGO法人「ア・シャカン・ソン・エベレスト(A Chacun son Everest)」が運営している、癌で苦しむ子供達のための登山コースがあります。
尊重を踏まえた森林との関係を取り戻すため
インディアンのコギ族の保護を目的に、NGO法人シャンドキュワが取得した土地へ12家族を移住させる計画に賛同した財団は、資金援助を申し出ました。それぞれの家族には、移住を成功させるために必要な資金や道具、種が配布されました。
彼らの使命は、集約農業や麻薬取締の一環として散布された枯葉剤によって壊滅状態に陥った土地の生物多様性をよみがえらせることです。
地元産の樫を使った綱を桶屋のために製造してきたシャンガン農業学校から財団に、「テロワール・シェーヌ(Terroir Chêne:樫の地)」のラベル製作の資金援助要請がありました。桶屋に販売される樫の木1本あたりの価格は、建具業者や建築業者で取引されている通常価格の10倍以上もの価値があり、ラベルはスイスの樫の森保護に役立ちます。
先住民族(シウィアルやザッパラス・インディアン)の組合から、居住区内の生物多様性の保全と管理方法を教えてほしいとの要請を受け、財団はスーパーバイザーのNGO法人アルタムの協力を得て、20の村落を対象に行われたエコ管理人のためのトレーニング・プログラムに資金を援助しました。専門家によって再編集されたこのトレーニングでは、エクアドルの法規制にのっとった「居住森林保護区」に該当する村々の森林の分類も行われました。
オーデマ ピゲ財団が資金援助した「セルヴァ・ヴィヴァ」号が、ペルーのアマゾンを帆走します。この船は、アマゾンの熱帯雨林保護の偉大なる貢献者でもある、川沿いに暮らすインディアン達のためにつくられました。
フランスのNGO法人アルタムによって雇用されたイキトスの失業者が、伝統的な手法を用いて造船したものです。
船は古来より伝わる植物を用いた民間薬を見直すという科学調査の他、インディアンの村々の交流を深め、年に数回ツアー客を迎えるという使命を担い、運転資金を調達します。
オーデマ ピゲ財団が資金援助した国際自然保護連合のプロジェクトは、協力体制を整えることで養蜂業収入を向上させることを目的に発足しました。時の流れの中で失われた伝統的な手法で、ミツバチの箱を再生させるワークショップが開催されました。過去数十年間におよぶ森林伐採のかわりに、養蜂家達は森林を傷つけることなく巣箱から蜂蜜を採取できるようになりました。
「ジャルダン・ドゥ・タン(時の庭)」では、ジュラ山脈のここ2万年を数分でご覧いただけます。
教育を目的とした公園、「ジャルダン・ドゥ・タン」は、古生代から、ここに生息していた最も古い生き物として1969年に発見された約1万6000年前のマンモスの時代までの、ジュー渓谷の地質、植物、動物の変遷を紹介しています。
財団はこのプロジェクトの資金を全額出資いたしました。